加賀藩の十一代藩主、前田治 ( はる )脩 ( なが )が寛政4年(1792年)に藩校を建てた。
その剣術各流派の中に異彩を放つ神信影流があつた。
神之信影流師範であった山森俊勝は加賀藩士の子弟に夕雲流無住心剣とりわけ「相抜け」の極意を伝授していたであろうことを想像するだけで胸がときめくではありませんか。
『夕雲流剣術書』ーはじめに(6)
針谷夕雲のこと=その6
この高田能種の弟子に山森俊勝(喜兵衛)がいて、この人物は加賀藩経武館で「神信影流」を流布させたのだという。
つまり、針谷夕雲の剣風を引き継いだ末裔が我が加賀藩にまで及んでいる事実はまさに驚愕に値する。
ただ高田能種のこと、とりわけ経武館にて師範役を相務めた山森俊勝については何らつまびらかにはできなかった。
極めて口惜しい限りだ。折を見てライフワークとして続行しなければならない。