老いぼれへぼ剣士の夕雲考《91》

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                       虎白禅師
 
夕雲流剣術書      小出切一雲 誌(17)
 
わが師 針谷夕雲とはどのような人物か
 
⑩ 【予が先師夕雲は、十三四歳より兵法品々を習ひ、後に小笠原が弟子に成つて神陰を傳へ、八寸の延がねの秘傳まで殘らず請け繼いで、初の内は小笠原が弟子の中にて二人三人の上手と云はるゝ神陰流の兵法なり、然るに先師禪學を嗜て諸禪師に示諭を受らる、就中東福寺の隱居に虎白和尚と云う智識あり、】
口語訳
私の師匠針谷夕雲は、十三四歳の頃より各種の兵法を習っているうちに、やがて小笠原源信齋に弟子入りし真新陰流を伝授され、勿論八寸の延金の秘伝までも残らず受け継いだのでした。
初期の段階より源信齋の弟子の中でも二三本の指に入るほどの腕前を持つ存在でありました。
処が、わが針谷夕雲先生は禅学を嗜みられて、諸々の禅師より説諭を受けられていたのですが、中でも東福寺のご隠居であった虎白和尚という高僧との接触が何といっても画期的な出来事となって行くのであります。
そこを今少し詳述すれば、臨済宗大本山たる京都「東福寺」の別院が江戸駒込の地にあつた天澤山「龍光寺」であった。
夕雲は、此処「龍光寺」に虎白禅師を尋ね謁見を申し出たのだと云われるのです。