『母の思い出』
⑨ 敗戦間もないころ、かの東京地裁の山口良忠判事がヤミ米を拒み遵法 ( じゅんぽう )精神を貫き、あえなく我が三十三年間の命を絶ったという事実からすれば、どん底にまで落ちぶれ他人のゴミ箱を漁 ( あさ )ってまでして、とにかく生を維持し得たことは果たして良とすべきことなのかどうかは、今以って自分には分からないことなのです。
そうは言っても、今にして思えばわが母はわが身を人非人 ( にんぴにん )にまで蔑 ( さげす )んでわが子の道ならぬ行いの肩代わりをしてわれ等の生を存続させてくれた。
そんな掛け替えのない母も今はもういない。
しかしわたしの胸中には今も、あの場面で優しく微笑み返してくれた母がいる。