剣道はすごいぞ≪19≫

イメージ 1




『剣道はすごいぞ』


   ―伝統と文化を大切にしてよりよい日本国をめざそうー


 


 


 


 


本当の負け犬にならぬために


 


葉隠精神が部分的に歪曲され戦時中の神風特攻精神に昇華され圧倒的に讃美された。


戦後73年今以って当時へのノスタルジアを感じ入る残滓が間違いなく存す。


改憲問題が提起され国論が揺れる事からも大いに察しが付くのではあるまいか。


 


その二・・キーリング イーチアナザー 相打ちか


 


 


 


 「葉隠」を象徴する言葉に《武士道というは死ぬ事と見付けたり》がある。ここに見られる二つの見解は共に死に急ぎであり生命軽視も甚だしいと封建社会の遺弊の一つとしていかようにも酷評はできるのだが、二人が命を賭けて対峙せねばならない深く重大なる背景が必ずやあることを決して見逃してはならない。


 主君のためとかお家安泰のためとかあるいは親の敵討ちであったにしろ、いずれにしても生きるか死ぬかの二つに一つを選ぶに際し、武士たる者は恋々と生き延びることよりも躊躇なしに潔く死ぬる方を選ぶのだという。


 剣を交えたときの物凄い怖さから早く逃れて今すぐにでも楽になりたい焦りの気持、そしてこの死ぬ覚悟を決意するのはそんなに難しいことではなく、いったんそう決めれば気持ちが座り腹をすえて突き進むことが出来るのだと葉隠の其の書の中で著わしている。


 其処に流れる死を肯定し、死を讃美する葉隠的精神だけを抽出し、更に曲解してことさら誇張した結果が今次世界大戦中において数多くの若者の命が昇天するに至るという歴史的惨劇につながっていく訳だ。


 今日的人命尊重の価値観からすれば、相打ち的死生観は人命軽視も甚だしいと唾棄され軽蔑の対象以外の何者でもなかろうことと思う。


 


 しかし、今の世に生きるわれらがおのれの人生に於いて掛け替えのない重大な信念や理想や目標達成のため身命を投げ出して一切の名誉も地位も財産もかなぐり捨てて顧みずおのれを貫き通す人物が果しているのだろうか。


 政界・財界・経済界を始め各界をば如何に見回してみても残念ながら見当たらない。


みなみなわが身の保全第一で御身大切なのである。


故に当時を蔑ろにする資格は今に生きるわれわれにはない。


むしろ見習うべき素晴らしい鑑なのではなかろうか。


此の見解は明らかに表題に掲げる主旨と大きく矛盾しようが命懸けで真剣に事に当たる気概と戦争肯定とは全然別ものだと思う。