老いぼれへぼ教師の回想記《21》上

 
あの出来事から五十年の年月が過ぎた。いくら若気の至りとは言え何とも破廉恥なことをしでかしたものだ。
穴があれば入りたい。入ったまま出て来なければよい位だ。
よくもずけずけとこの世に厚顔を曝していると悪口雑言を叩かれてもし様があるまい。
背を屈めて筵でも被り小さくなって生きてゆくしかない。
朝倉兄には御無沙汰していることが気掛かりなのだが・・・
 
 
 
其の二  紫錦台 気ままに生きて 小手試し 
 
気違いに刃物
 
 長い間生に携われば、自ずと恥ずかしいことに二度や三度遭遇することもあろう。誰しもそうだろうと私は判断するので、以下のことを敢えて告白することにした。
 全校職員が一同に会して宴席を設けたときがあった。場所は金城楼と記憶するが、まあ何処でもよい。当時はまだカラオケは存在しない。各々、自分の得意とする出し物を披露しあった。おのうの方は皆奇策を練って持ち味を存分に発揮した。
 処が、実は悲しいことに私にはなかった。無粋で野暮な身を心から恥じた。刻々と順番が迫り、とうとう私のご指名に至った。体よく言い訳をして辞退しようとしたのだが、その時、幹事役の朝倉俊郎君が何か言葉を放った。辞退はまかりならんという意味合いだった。私は追い詰められ窮地に立たされてしまった。
 その後の私の行動は常軌を逸していた。家まで立ち帰り刀を持ち込んで、朝倉君の面前で抜いてしまっていた。のみならず、襖や畳にまで損傷を与えてしまうという有様。
 場は白けてしまった。真っ白に:::、私の目の前は真っ黒になった。私は凶悪犯同様に取り押さえられた。どうしたことかパトカーのサイレンと共に警察へ収監されることだけはなかった。
 酒を気違い水とはよく言ったもの、しかし如何に酒の上とはいえ許されることに非ず。勝負あり。私の完敗であり、この時、おのれの前途の大方を見通したのだ。
 でも、前代未聞の不祥事でありながら醜聞として表沙汰にならなかったその間の事情を今以て感謝している。内部で揉み消し、教委や警察、報道機関への最大級の配慮がなされたことは想像するに難くはない。
管理職たる校長をはじめ上司の先生方及び関係各位の見事なる温情とご英断に頭が下がる次第、今此処に改めて御礼を申し上げねばならない。
もちろん当時は未だに縦社会における諸々の懐柔策が功を奏したことは世間知らずの私には知らないことであった。果たして上はどこまで行ったやについても知る由もないことなのであります。
師範系の学閥の何たるかを知る絶好の機会にもなったことになる。
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 朝倉君は高校の同期であり知らない仲ではなかった。口八丁手八丁でよく機転が利く御仁で、正義感強く上司へもよく噛み付いていた。私は完璧に彼には一目置いていた。そういう間柄ではあったが、内心では対抗心を抱いていたのかも知れぬ。しかし、私の完敗に終わったことだけは確かで、その借りを返す意味からも後刻彼を仲人に立てて私は現在の妻と挙式をあげた。        
 更には、私が二度目に赴任した内川中で彼が管理職の座を射止めたことにも何ら感慨はなかった。むしろ内心では祝福した。只、彼のご子息が夭逝された旨知らされた折には、口に表すことが出来ぬ程の複雑なる心境に陥ったことは偽らざる事実である。