老いぼれの独り言

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四十万の孫娘と大阪の孫息子を伴って額谷の体育館にて遊ぶ。
遊ぶというより、わたしにすれば「剣道形特訓」と「孫守」に他ならず連日の日課と化した。
高1の孫娘と「形」を執り行う傍らで小三の大阪の孫は一人して「バスケットボール」に打ち興ずる。
年齢的には逆であり確かにちぐはぐに映るがこればかりは万止むを得ない。
 
“打太刀は機を見て打て”とある。
機を見て打つとは間合いに入り行き成り打つに非ずして少し間を置いて打つのだと解釈しがちだが、そうではないとわたし流の剣道理合いを力説してみる。  
つまり、双方間合いに入って打太刀は攻めの気勢を示すと仕太刀打とうと動いた其の起こり頭を捉えて打太刀は打ちに入る、これこそが“機を見て打つ”ことだと説明するが孫娘はきょとんとした顔をして果たして判ってくれたものか大いに疑問なのです。
片や、大阪の孫は無心でバスケに興ずる。
盛んにシュートを試みるがボールが大き過ぎて思うように上がらない。
それでも根気よく飛び跳ねるうちに偶には入る。
 
処がほんの少し目を外すとゴールポストの下にわが孫がいないではないか。
他の子らに所場を奪われわが孫はポールの無い箇所に追い遣られ独りぽつねんとしているではないか。
こりゃいかん。
こりゃまずい。
コリャなんだ。
直ぐに飛んでゆき
遠慮するな!
マサ!お前も一緒にやれ!
君たちも、此の新前さんと仲良くやるんだぞ!
いろいろ教えてやってねと願い出る。
でも、わたしの孫は彼らと交じり合うことがなかった。
お前が先取りしたゴールポストなのだから遠慮するなと勇気を鼓舞したが彼らと一緒に為そうとは終ぞしなかった。
わたしは少し淋しかった。
消防署で消防自動車の写生依頼に事務室を訪問した時もそうであった。
決して、わが孫を小心者で終わらせたくはない。
愚図愚図モジモジからふてぶてしく逞しい好少年へ何が何でも更生させねばならない。
場数を踏ませ場馴れさせるしかなかろう。
 
加えて、自由研究と読書感想文に写生画、更には復習ドリルに漢字練習、本人のやる気次第ながら志気を鼓舞する手立て何か妙案はないものだろうか。
可愛い孫なるがゆえに大変なのです。