津田家のルーツを辿る≪6≫

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6 清三郎近猷と内蔵助正行兄弟の実父津田金太郎近義のこと
 
 
 平成25年1月末日の冬晴れの絶好の日に、未だに見知らずの津田金太郎近義の墳墓を見定めようと雪深き野田山へ足を踏み入れた。
 然すれば、其処にて図らずも舟田敏氏に遭遇した。
 奇遇としか言いようがない。
 わたしにしたら“願ったり叶ったり”の最高の出会いの場であった。
 津田玄蕃家の本家筋の墓所のみならず津田分家筋の墓所、さらには今枝家の墓所までつぶさに見聞し探索させていただいた。
 して、その場にてわが母方直系の津田金太郎近義と津田清三郎近猷父子の二基の墓石とその正室たちのそれらを発見いたし感無量胸まさにときめいた次第なのだ。
 
 父金太郎の墓を子息清三郎が建立した趣意や経緯を表わした碑文には次のような文字が述べられていた。
 
【文政四年辛巳九月十日卒墓碑初己成
三十餘年於(茲玆慈)(焉馬舃)爲風霜取頽傾不能支摚今改築以良材盤礎精緻欲不剥落千秋永以為鎮石 】
 
口語訳
 
【父金太郎は文政4年(1821年)9月10日に死去しました。
三十余年間も風霜に晒したまま放置したので頽廃が著しい。
それで、常しえに剥落しないように良い石材で此の墓碑をわたし清三郎が改築いたします。】
 
 また、金太郎の正室の墓の側面に表わされた碑文には次のような文字が並べれていた。
 
【先妣本姓柘植氏故馬廻組三左衛門君第二
女也故馬廻組頭津田左近右衛門君養為女
以文化巳己十二月來帰千先考安政乙卯三
月七日没享年五十有八】
 
 何分にも古文書を読み砕く素養も力量も皆無に近い。
 不本意ではあったが玉川図書館近世史料室のお力添えを戴いて解読に漕ぎ着けた。(以下は続編にゆだねる)