老いぼれへぼ剣士の夕雲考《20》

先ほどラジオで”戦争と平和”と題して特集番組を放送していた。
リスナーから届いた真摯な生の声にことごとく驚嘆した。
若い世代の貴重な叫びにも聞き取れた。
まだまだ、日本国は捨てたものじゃない。
日本国を震撼させた311大災害を契機に核の危機を肌で感じた。
生命の尊さを実感した。
殺しあうことの愚かさにやっと気付いた。
戦争廃絶、核廃絶を叫んだオバマに共感し共鳴した。

何と驚く勿れ、江戸時代の剣客の中にそのような人物がいたのだ。



大森曹玄は夕雲をどのように観察し評価したのか(5)

言うまでもないことながら、曹玄禅師の此の言葉の背後には針谷夕雲が隠れていたのである。まさに針谷夕雲そのものに他ならない。
尤も、前述したごとく其の根元には仏陀の教えや孔孟の教え、更には老荘の教えなどが渾然一体となり、兵法者という剣客たちの世界に禅僧たちが介在する形で浸透していたのである。
それ故に、この針谷夕雲の偉業を疎かにし蔑ろにすることなく、小さなともし火であれ火種を絶やすことなく誰かが守り続けねばならない。
ましてや、一笑に付すようなことがあったはならないのである。
幸いなことに弟子、小田切一雲は見事に遺志を継ぎ、寺田宗有(五郎右衛門)と白井亨も山岡鉄舟や山田次郎吉らも余す所なく夕雲の大義を評価した。
そして大森曹玄禅師はもとより、作家直木三十五氏、更には小川忠太郎範士鈴木大拙師共々バラク・オバマ大統領までもが協賛し賛同の意思表示を顕にしたこととなりはしないだろうか。
その接点を、単純化した図式の中で「自己犠牲」と「無私」の二語に見い出したわけだ。