老いぼれへぼ剣士のルーツ《19》

表題はルーツとあるが、わが生い立ちの記録に過ぎない。

その二 高橋 為(2)

 幼児期の記憶の度合いの濃淡が、その人の記憶の良し悪しに正比例するならば、私のそれは極めて劣悪の部類に入ろう。
 祖母は昭和十六年に他界しているが、その告別式の断片すらまったく甦らない、その片鱗すら皆目記憶にないのである。
新竪町小学校に入学した一年時第二学期も深まった十一月十九日のお葬式のことを、忌引きを取って学校を休んだこともまったく甦って来るものがない。
要するに、端的に申せば私は極端に頭が悪いこととなる。
事実その通りであり、本人自身があからさまに認めざるを得ないのである。
それはさて置くにしても、別格の寵愛を甘受したことだけは事実なのだ。
そのことが結果的に、我が儘に甘やかされてしまい、私の人格形成に多大な影響を及ぼした。当時の事ゆえ幼稚園も保育所・託児所とてなく、ひたすら私は祖母の一手に抱えられたまま養育された。
そこへ、いきなり学校という集団生活を余儀なくされた。新竪町国民学校での厳つき風貌の大矢喜久男先生の学級に配属されたこととなる。
幼こころに著しい戸惑いを感じた。登校を一方的に拒み続け爲ばあさんのみならず教師であった両親を痛め続けたことをよく聞かされたものだ。
学校という集団生活は、決して心地よいところではなく苦痛の場であった。
同年輩の子らとの人間関係をスムーズに処していく能力とコミュニケーションする手立てを致命的に欠落したまま荒波に放り出され翻弄される身となったのも紛れもない事実なのだ。
 極言すれば人間嫌いで社交性に疎い人格形成を強いられた。