老いぼれへぼ剣士の生い立ちの記《20》

 どう見てもこの辺りからはわたしのルーツではなく生い立ちの記に早変わりしてしまったようだ。
 気が小さくてよく人見知りし、自分の思い通りにならないと我が儘放題に陥るこの生来の悪しき性格は、祖母為からの偏愛によって齎されたものかもしれない。
 でも、肉親に抱かれ暖かき愛情をじかに肌に感じたのは実は両親よりもこの為ばーちゃんからであった。
 何はともあれ、強く逞しい日本男児とは縁遠き存在だった。



その2 高橋 為(3)

当時としては時代の最先端を行く夫婦共稼ぎの家庭ではあったが社会全般がそういった家庭を支援していく体制までは確立されてはいなかったのである。
 母としは妻であり主婦であり三児の母であり何よりも女性教師であった。姑である爲に全面的に依存せざるを得なかったのである。
 私は爲ばあさんからこよなく愛され続けたので、それ相応に他人をばいとおしむべきとの無言の教えは授かっていた。
それゆえに私は基本的には他人を受け入れ妥協することにはやぶさかではないし、また左程の抵抗はしない。
 しかし、それには条件があり、その他人が私の意思なり私の善意をば一〇〇パーセントキャッチして呉れればよいが、一度そうではないと判断すれば、妥協すること無く攻撃的なキバを剥き出してしまう。これとて私の致命的な欠陥なのである。
今以って此の性癖は治ってはいないのである。三つ子の魂百まで迄と言われる通り私の性格形成の大半は言うまでもなく祖母爲の手にゆだねられた結果だと言えるのです。
でも私は決してこれを否定的には捉えてはいない。むしろ喜び感謝しているのです。何故ならば他人の真似ではない真実私だけの貴重なる正純流人生をしかと歩むことができたからなのである。