老いぼれへぼ剣士の夕雲考《19》

 大森曹玄は著書「剣と禅」のなかで”人間は、過去の必然を未来の自由に転ずる主体性を持つ。また、人間はわが命を能動的に創造的に展開できる”という言葉を用いて、勝つか負けるか生きるか死ぬるかを峻別する勝負の世界を考察している。
 そして、その行き着く先に絶対平和があってもおかしくはないと針谷夕雲を引き合いにして結論着けている。
 とにかく、針谷夕雲は特異な剣客であった。

 

大森曹玄は夕雲をどのように観察し評価したか(4)

処が、それにもかからわず兵法の極点をも極めた人間でありながら、さながら畜生のような生き様の兵法者がいることへの感慨を大森老師は次のような言葉で綴っているのである。
すなわち、「人間は、過去の必然を未来の自由に転ずる主体性を持つ。
また人間は、わが命を能動的に創造的に展開できる」という主旨の言葉が眼に入ったのである。
つまり、かつての往時において争い事が起これば自ずと勝者は生を得て敗者は死に至るという必然性があった。このような道理が厳然としてそこにあった。
しかし、これからは争い事が起こっても、必ずしも死に至ることなく、お互いにわが命を能動的に創造的に展開してゆくこともできるのだという解釈にも繋がる。
人間の飽くなき闘争の歴史を見るにつけ、この勝負の世界をどことん極点にまで煎じ詰めて行けば、この勝負事を超越し度外視した所に闘争心なき絶対的自由な世界・絶対平和なるものが厳存することを予言したことになる。
神や仏ではない生身の人間が、真実この世の絶対平和を強烈に希求して止まない熱意を切々と訴えたのである。
人間の存在意義を通して人間として最も大切な事柄を、事もあろうに殺戮行為が未だ横行する江戸時代において、一介の市井の剣士が編み出したことになる。