下手糞老いぼれ剣士のルーツ《12》

歴史上の高橋家と松井家は政之丞こと精路を介して間切れなく癒合した事は真実なのだ。
他家の血脈を暴くことは決して本意とはしないのだが必要上止む無く調べさせていただいた。
当然のことながら、松井家の御当主松井彰氏の承諾の元なるは言を俟たない。
その結論が、以下に述べるとおり血統的血縁関係は存在しないことが判明した次第なのだ。
因って、目下のところは賀状のやり取り程度の極めて淡白な間柄なのである。

但し、当記録が後世において紐解かれ、思わぬ復縁が成り立たない保証はどこにもない。




父は茂右衛門、母は材木町油屋の和兵衛の娘との間に生まれたのが、長男奥田源右衛門と三男松井政之丞に続いて松井友次郎・松井駒之助・松井茂助らがいた。全て男兄弟で次男が欠落している。
この政之丞の弟たちの中に仮称[松井治吉の父]に当たる人が居られその実子が松井治吉となる。治吉は幼くして父を亡くしたので山岸家へ里子として貰われて行ったらしい。
治吉は山岸治吉と改め二十歳の折、山岸家の娘、春を妻として迎えた。更に山岸治吉は松井家の再興を図り、名を再度松井治吉に改めた。
治吉と春の間に娘五人あったが、三女の松井信子が婿養子を迎え入れる形で松井家の継承が決まったのだと言う。この迎え入れられた婿養子の名を西村京太郎氏と言い、当然名前を松井京太郎と改めた。処が、妻松井信子が早世されてしまっのだ。
松井京太郎は後妻として迎えた晴子氏と再婚された。松井彰氏はこの松井京太郎氏と松井晴子氏との間の実子であられる訳なのである。
民法の規定に従えば、親族は六親等以内の血族、配偶者及び三親等以内の姻族との定めがある。われらの世代からみれば高橋精路は三親等、松井茂右衛門は四親等、松井治吉が六親等の血族に当たるのである。
紛れもなく高橋家と松井家は親類縁者の類いに入るのである。極めて稀有な間柄と相成った次第である。