下手糞老いぼれ剣士の独り言

青梅錬心館故荻野弘先生を偲んで

人物評はおっかなくてできない。またできるような分際でもない。
故人なるがゆえに敢えて斯くなる手段にて公表させていただいた。ご容赦あれ。
青梅錬心館故荻野弘教士七段は熱意溢れる、しかも気前のいい先生だった。
とは言え、先生とは懇意な仲ではない。
直接相対して面会したのはたったの二度きりである。
荻野先生の朋友であられる野々市町在住のT氏のもとへ遥か昭島市より軽自動車を自ら駆使して参上され、稽古に汗を流された。
ホテルに一泊し帰路に付かれる。このようなことが二度ばかりあった。
御身一人でハンドルを握り東京の地より乗り入れられる此の確固不動たる信念ごとき熱き人情と情熱、さすが江戸っ子の気っ風のよさに惚れ惚れした。
一度は野々市道場、二度目は額谷体育館にて直接剣道とは如何なるものかを厳しく伝授された。
わたしらは教え授けられた。とにかく怒鳴りつけられぱっなしだ。
年令の程など手加減なく、容赦なく捲くし立てられた。
罵声を浴びせられ続けた。それがことごとく、当を得た指摘であった。
田舎剣法を恥じざるを得なかった。でも、後味がよかった。
辛辣ではあったが後に残らなかった。清涼感すら味わった。
荻野先生より、あなたもお年でしょう。こんな重い竹刀はそろそろ卒業してもいいでしょうと・・・。
軽いものを重く用いる。これがコツですよ。次回にはお伝えしましょうと最後に言われた言葉が耳に残る。
よき先生を失い残念至極と声を大にしていいたい。
後日、竹刀数本が届いた。なぜか無銘の竹刀であった。
女性用三八であった。実に気前のいい先生であった。

また、この荻野先生は文章がお好きであった。
ふと気付いた事柄を質問事項として投函すると、直ちに返書が届いた。
先生からは幾度となく度繁げく封書が届いた。お世辞にも達筆とはいえない文章だったがその文量がすごかった。
便箋用紙が底を付いたらしく、新聞のチラシ紙に手当たり次第に書きなぐってあった。
判読するのに四苦八苦したことを思い出す。
その都度保管したので莫大な量になる。先だっても読み返してみたがやはり読みづらかった。
これは人事ではない。人様より同様のことばをいただいているのが此のわたし自身に他ならない。
いずれ、参りますので是非軽い竹刀を重く使うコツを伝授願います。
そのときは、がなしたてずにそっと耳打ちする程度でお願い申します。どうぞよろしく願います。 合掌                  釋正鈍