八十路の峠を過ぎればそこは下り坂である。
おこたに入り茶でも啜っておればよいものをのこのこ出歩きわざわざ竹刀を振る。
見栄っ張りと云われも良い偏屈者と揶揄されても一向に構わない平気です。
此れがわたしの道楽と云う名のお勤めなのです。
先日は蹲踞に失敗し尻餅からころりと回転しオツムを強打し漸く我に返る。
見っともないったら在りゃしない。
それでも懲りずに竹刀を振る。
回りの方々はみなとんとん拍子に昇段を果たし見渡せばみな高段者ばかりではないか。
でも稽古になればわたしは決して引けを取らない互角に対等に打つ。
仮に有効打突を取れずとも気で攻め一町四方に轟き渡る怒号で勝負する。
仮に七段の錬士であろうが遠慮なく牙剝き出し咬み付く。
それが許される此の道場に最高の醍醐味を見い出すのです。
目に見える技や力やスピードでは敵わぬにしても目には見えない気や心で幾らでも勝負できる。
わたしの勝負は一本取ること以上に如何に納得のいく美しい打突が叶うや否やにかかる。
もう既に昇段審査とは縁を絶った。
詮無い事です、埒の開かぬ事なのです。
それでも、今日も黙々と独り竹刀を振りつづける。
現有段位に見合った人間形成を急がねばならぬからなのです。
八十路を過ぎてもう時間がないのです。
わたしはわたしの技前を是非閻魔大王さんの前で披露しなくてはならないのです。
これがわたしのしがない「生涯剣道」の全容なのです。