下手糞老いぼれ剣士のルーツ《8》

急転直下に奈落のどん底へ落ち込んだのでないが三千石の家老職から切米二十俵の足軽分際にまで零落してしまった。
凋落の一途を辿ってしまった。
その間二百五十年の無常なる年月の流れがあった。抗し切れない時代の摂理が働いたのだ。
 そこには何ら歴史の必然性はなかったと信じたい。そのようなことは在り得る筈がない。少なくとも由緒書きを見る限り、それは絶対ない。
 それでも吾ら高橋家の先人たちが時代の流れの不条理な展開に身をゆだね、ありとあらゆる恥辱と屈辱に耐え抜き命を懸けて”家”を守り抜いた。
 其の何よりの証が、いま吾らが二十一世紀のこの世にあるということになるのです。 






高祖父・高祖母

 高祖父の名は大橋金之丞という。大橋金之丞は、前田家の御領地方の足軽で年中の御切米が五十俵の高橋吉郎右衛門のもとへ養子として入籍した。名前を高橋金之丞と改めたのである。どのような事情があったのかを勘繰る術はどこにもない。
 跡継ぎのいない吉郎右衛門の心情を察して決断したのだろう。格別に由緒ある家柄ならいざ知らず、そうでなければ二三男坊たちの生きる道はきびしかっに違いない。
 高祖父、高橋金之丞の実父は大橋喜ヱ左衛門であり、養父の名は高橋吉郎右衛門となる。
金之丞は割場付けの足軽であった小竹清右衛門の娘を妻としたが、最後まで実子に恵まれることはなかった。
 金之丞は嘉永三年(一八五〇年)十一月に寂しくこの世を去った。晩年における年中の御切米はなんと二十俵にまで格下げされてしまった。極貧の中で悔し涙に明け暮れしたことだろう。由緒書からはひと際、病身の一文字が目を引くのである。よくぞ、屈辱と恥辱に耐え抜いたことか。
 高祖母については、清右衛門の娘であったこと以外はわからない。生年、没年共に書かれてはいない。
実子のいない高橋金之丞は、金沢の材木町油屋に住んだ・・・  つづく