下手糞老いぼれ剣士の独り言

昨夜の教育テレビETVで知の巨人梅棹忠夫のことを特集していた。
目からうろこが落つる思いで見入った。強く感銘し、共感を覚えた。
一方、何にも知らないおのれに、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなかった。
アメーバのような単細胞の貧弱な頭脳には難しすぎたのだが、一つだけ貴重な一言を頂戴したことに甚く感謝し喜んでおります。
それは、いかに貧弱で稚拙であれアマチュア的頭脳で編み出された思想はそれなりに評価され、この世に在る事が許されるのだということです。

理性対叡知のお話でした。というより理性の世界より叡知の世界へ変わり行くのだというお話でした。
人間の優秀な頭脳はどことん合理性を追求し高度な物質文明を築き上げた。
経済的合理性の徹底追及は利益をどことん追求し自由主義経済が終には新自由主義思想にまで突っ走りリーマンショックで破綻してしまった。
格差社会が到来した。一部勝者は勝ち残ったが多くの敗者は犠牲者となった。
また、科学技術の進歩は行き着く所知らずに突き進み、原発は多くの恩恵を与えた反面その安全神話が終に崩れ去り、今や収拾がつかない暗黒の危機に直面している。
どちらかといえば、この人間の優秀な頭脳は左脳的偏差値偏重の頭脳であり、理性を追及した世界の行き着くところは暗黒の世界に到達してしまうのだと梅棹忠夫は主張された。
人間は理性を追求した結果文明を享受できたが、結局暗黒の世界を齎してしまった。
此の暗黒より光明を見いだしてゆくことも人間の務めなのだといわれる。
それが、人間の叡知なのだという。
叡知とは、例えば心のひらめきの様な知的な生命体なのだという。
この叡知を追求して暗黒の中に光明を探し出さねばならないという。
その為には、右脳的頭脳を研ぎ澄まさなければならない。
一部勝者のみが生き残るのではなく、衆生が救われる光明を思索しなくてはならない。
そして、此の叡知を養うためにプロの思想家が輩出するのは当然のことだが、その中にあってずぶの素人アマチュア的思想家がそれぞれ無き頭を捻って光明への道を模索することは決して恥ずかしいことではないと梅棹忠夫は言っているのだと、昨夜わたしは勝手に解釈した次第なのです。
これは引いては、剣技の極を究めた松林左馬之助無雲と心法の極を究めた針谷一雲との対比にも相通じる事だと判断した。