下手糞老いぼれ剣士の夕雲考《9》

高木健夫の「二十四人の剣客」の中には夕雲の名はない。上泉から三代下った鹿島神傳直心陰流第四代道統者を名乗る小笠原玄信斎の弟子の一人としてわずか二十数行の取り扱いで紹介されているに過ぎない。
 況してや、「相抜け」の極意には一切一言も触れられたはいない。些か、片手落ちの感を否めない。

 かつての米ソ冷戦時代に脚光を浴びたベストセラー「二十四人の剣客」の前書きに原子道なる新語が目に入る。
 その当時において、もしや米ソ両国が夕雲流の此の「相抜け」の難技を成し遂げていたならば、高木氏が指摘する此の原子道が成就していたことに相成ろう。
 原爆という殺人刀的原子力原発という活人剣的生産力へと転化転用が適い、原子力が原子道にまで昇華したと喧伝されたに違いない。
 それは、あたかも剣術が剣道へと格上げされたのと同様に・・・・・

 処が、今回の未曾有の311大事故は総ての事を覆してしまった。原子道もくそもあったものではない。
 大自然を屈服させようと試みた人間の傲慢過ぎる「業」が取り返しのつかない大失態を演じてしまった。
 原子力もへったくれもない。脱原発の機運が一気に高まり611・100万人アクションと銘打って世界各国、全国各地にて狼煙が上がった。
 でも、思いのほかマスメデアは控えめ、目には見えない異様なマグマのような物体が不気味に動いているようにも思える。
 早晩やってくる総選挙の争点に原発是非問題が俎上にのるかもしれない。
果たして菅さんはどちらかな・・・・


髙木健夫は夕雲をどのように観察し評価したか


「二十四人の剣客」を著わした髙木健夫氏によれば、この無住心剣は余りにも「陰流」固有の術技を度外視してしまい哲学的になり過ぎてしまっている。
 しかも元祖たる上泉信綱をはじめ富田勢源塚原卜伝さらには自分の師匠小笠原玄信斎にまで畜生同然の浅ましき剣法に過ぎないではないかと、みなみな妄想虚事であると切り捨てた。
 また、弟子小田切一雲に対してもいかにも世をすねた厭世論者のようなニヒルな剣風を随所に醸し出しているではないかと酷評している。
 いずれにしても、ネガチブに捉えられているとしか言いようがない。 
 高木氏は夕雲と一雲の無住心剣を等閑視したことになる。

 
しかし、二十一世紀の今日極めて特異な異国の為政者が一人 忽然と台頭し衆目の的となったのである。
 彼は政治家である前に、一介の人間として、その根底に根差す人間性を強烈にアピールした。
 己のことよりも他者のことに目を注ぎ、今こそ「自己犠牲」と「無私」の心構えの大切さを全人類に説いて廻っている。なぜかしら、夕雲と共通根があるような気がしてならないのである。つづく