老いぼれへぼ教師の回想記《10》

集落挙げての一大イベントであった。原始の血が滾った。青春の血が躍った。
偉大なる大自然へのちっぽけなる人間が有りっ丈の力を結集して挑戦を試みた貴重なる人間の記録だ。
さぞかし、現代ならカメラの放列で報道各社の取材隊でごった返したことであろう。
二度と再び返り来ぬ人生の一齣であった。懐かしいなあー。






うさぎボイ

 二階の教室へ通じる階段を荒々しく駆け上がる威勢の良い足音と騒々しい人声が、私の厳粛なる授業を中断させていた。
 入り口のドアを思い切りよく開け放ち、数人の在所の若衆がどやどやと闖入してきた。これは徒ならぬこと、尋常ではないぞ。
 授業という聖なる営みの中へ、問答無用の振る舞いで勝手に侵入し、そして、曰く。『これより、うさぎボイだ。子どもを借りる。人足として、センセの馬力もあてにしてるぞ―。』
 相当、お神酒が入っている。声高だが険悪ではない。こちらの、意向を伺う暇なしに、即断で即決していた。いささか、強引な手法だが悪気はなさそうだ。
 そういえば、今日は一月十五日の旗日だが振り替えて授業を行っていた。祝祭日に併せて、町会上げての一大イベントを挙行するに至った訳か。
 これで、呑めた。壮年団、青年団共々、中学生全員が立派な助っ人として必要なのだ。
駆り出されるわけがあったのだ。原始の血をたぎらそう。野うさぎの生命を媒体にして、其処に住む者たちの生きるための絆と連帯感を互いに固く強く確認し合う為の、厳粛なるこの集落挙げての一大年中行事だったのだ。
共同体としての体裁を確保し、維持発展を期する為にも、絶対的に必要欠くべからざるものだったのだ。
そんな中へ、私如き異質な異端分子を一時たりとも融合させてもらえたことにむしろ感謝しなくてはならないことだったのだ。
 厳冬の大自然の真っ直中で、生身の人間が素手大自然との格闘に今挑んだ。屈強なる肉体が縦横に躍った。腹の底から絞り出す、渾身の怒声と罵声。
 正に、原始の時代にタイムスリップした。底ぼいの兵卒の一人として、チームの輪の中に、いやが上にも溶け込んでゆく。手抜きは許されない。
 それぞれの、持てる力を振り絞り、身の丈以上の深雪をも諸共せずに、喘ぎつつ、もがきつつ脚力の全てをばねとして飛び跳ねながら昇った。登り詰めた。
 有らん限りの、吐き出す荒息が山肌の黒き樹影に白く映えいで揺らいだ。見上げる山頂に網場(あんば)を捉えた。 垂直の雪面を飛ぶがごとくして撥ね動く物体に猛然とタックルを試みる老練なる網場衆の鬨の声が静寂なる山の空気を切り裂いて響き渡った。つづく