下手糞老いぼれ剣士の独り言

毛色の違う異質の存在物を排除排斥するのは、何もおサルや犬たちだけではない。
人間だって同じ事のようだ。超エリート校で学問を修めようが、見識深きその道の第一人者といわれるお人たちであろうが皆同じなのです。


その人の善意でもってみんなのため公共のために奉仕しようとしても毛色が違うだけで何となく毛嫌いされ
摘まみ出されてしまう。


311大震災を機に、日本国中に別の意味での激震が走りぬけた。
此の一大事に何もせずに座視したまま手をばこまねく
ばかりではいけないと皆が実感した。
居ても立ってもいられない気持ちで皆が腰を挙げたが、何を為せばよいのか、これまた皆が躊躇してしまったのも事実。
事実スコップを担いで馳せ参じたいという衝動に駆られはしたもののその需給バランスをコーデイネイトする面面が手薄で動きが取れなかったのだという。

昔、安保闘争華やかなりし頃講義のマイクの声が周囲の騒音にかき消されるなか、居た堪まらない思いで校庭を取り巻くデモ隊の渦へ自ら身を呈していた時のことを思い出したりもした。
とにかく、もうやるしかない。切羽詰った思いで行動に移していた。

現今もそうではないか。
何かを為さなければいけない。
被災地のために、皆のため公共のため引いては国のために何を為せるかではなく、とにかく何でもよいから今すぐにでも何かを為さねばならない。
そういう時期ではないか。

他人の揚げ足取りをするときではないのです。政治家さんたちよ。


過ぎ去りし何時の日にか見た道場にて、わたしはその道場の床をおのれの足で今踏んでいる。
“元太刀と一緒に正面へ大きく振りかぶり、右足を右斜め前へ移動させつつ、頭上にて手首を返し斜め四十五度に相手胴革部へ打ち下ろしまーす。
打ち下ろすと同時に左足の引きつけを的確に行い、大きな掛声を出しましょう。
相手の脇の下をすり抜ける時ちらりと相手の横顔に目を注ぎましょう。
そして、三歩の余勢で進み竹刀を正面に抜いて直ちに残心の姿勢を示すのですよー。
わかりましたかー。“
あらん限りの発声でくたくただ・・・

稽古が終わり、わたし“よ×××”ではありません。
“××××”です、とお声がかかった。
何故かしら、とても素晴らしい充実感を一人味わった。

そういえば、政権交代のとき確かあの方が「新しい公共」と叫んでいたことを思い出した。
いまこそ、その実行のときではなかろうか。
自分の持てるものを、周囲の人たちへ誰からの指図も受けることなく自分から進んで提供しようという善意の気持ちを、この際日本人個々人が享受できるようになればいいなあ。
そこには対価なんて安っぽい駆け引き材料なんてあるはずもない!
日本人を馬鹿にしてはならんぞー!

菅さんのことが益々分からなくなりました。