下手糞老いぼれ剣士の夕雲考《8》

甲野善紀は夕雲をどのように観察し評価したか=その2

 現代の論客甲野善紀は無住心剣の針谷夕雲を物の見事に切り捨てた。完膚なきまで打ちのめし論破された。
 剣の術技が伴わない心法だけの剣術は根無し草同然世に定着するは難し、いかに鈴木大拙が肯おうがやはり一顧だにされぬ存在なりと豪語された。

 先日六日のブログで触れた梅棹忠夫の「理性対叡知」の論法に従えば、どことん剣技の合理性を追求すれば行き着く所は殺伐とした破壊への道を辿ろう。
これは、人なるがゆえの業であるという。
そこで、この業なることを自覚しおのれをコントロールし今までとは違う生き方を模索するべく叡知を働かせねばならない。
暗黒の中に一筋の光明を見つけ出さねばならないと梅棹忠夫は指摘した。
 心の中に新たな剣術を築き、知的なる生命体を真剣に鋭く追及し叡知を働かせた江戸初期の剣客針谷夕雲はまさに梅棹忠夫の先先の先を行く卓越し人物のようにわたしの目には映るのです。

「理性対叡知」を「相打ち対相抜け」に連携させることには論理の飛躍がありますですよね。アマチュア擬似思想家気取りで実に恥ずかしい。




彼我双方共に、己だけが一人勝ちするのだと意識するに至れば相抜けと相成ろう。
 相抜けが成り立てば彼我双方共に共栄の道を歩むこととなる。
 処が、相抜けが成立すれば同じ流派の中に師弟の間柄ながら、頂点に立つものが二人と生ずることとなろう。
然すれば早晩、師弟の間で雌雄を決する事態と相成ろう事は必至となる。
 事実小出切一雲は、弟子万里谷圓四郎義旭に敗れ去り、その円四郎義旭は一雲の兄弟弟子に当たる片岡伊兵衛の秘蔵の弟子中村権内なるものに不覚を取ってしまうのである。
 処が、その中村権内は自分の弟子である加藤田新作と一戦を交えたが、権内は弟子新作に及ばず敗れるのである。
 そのいずれも、相抜けの業に辿りつくことなく、相討ちにて決着をつけたことになる。
 そして、その折に中村権内は「我も及ばず」と口にしたのだという。
 片や、加藤田新作の口からは「我、神陰得たり」と発せられ、決して「我、無住心流を得たり」とは口にしなかったという。
 この時点にては最早、相抜けを極限に設定した無住心剣の神髄は地に落ち変わり果て、その源流たる流祖松本備前守尚勝の鹿島神傳神陰流にまでタイムスリップしてしまったことになる。
 つまり、心的要素に彩りされた心法的剣術は時の流れに身を晒し、その当事者からも見放されて、何時の間にか普通の剣術に先祖返りをしてしまうという憂き目を見たのだと、かの甲野善紀氏は鋭く斬り込まれたのである。
 いかに無住心剣が当代一流の剣の最高峰だと鈴木大拙師に言わしめようが、剣の術技を等閑に伏した剣術である以上は、それはあたかも根無し草同然に、その存在の根拠を失う宿命にあったのだとのご指摘なのである。
確かに、言われるように無住心剣術はその存在価値を見失い自然消滅したことになる。                         つづく