下手糞老いぼれ剣士の独り言

マイケル・ジャクソンの命日に因んで

わたしはマイケル・ジャクソンについてなにも知らない。
益してや、ガッパになって陶酔するほどのフアンでは元よりない。
一時は、醜聞に近いゴシック記事に惑わされたりもした。
でも、何故かしらテレビの画面には惹きつけられた。不思議な魔力を宿すアーチストであった。
何せ、五十歳の若さで世を去った時には異常な高ぶりで全世界が慟哭し悲嘆にくれた。
人類の宝物を失ったのだと皆が天を仰いで地団駄を踏んだ。
その時、此の人が只者ではないことに気付いた。
ただ単に、派手でトリッキーな仕草やパフォーマンスが天才的であるだけではなさそうだ。
只ならぬ神髄がバックボーンに貫かれていることに気付いたということだ。
これまた驚くことなかれ、マイケルの骨の髄に「此の地球上の差別と偏見に固執し、さらには環境問題にまで人類永遠の諸課題を提起しつつ遠大な視野で“ムーンウオーク”を無心で演じていたのだとしれば・・・
此の人は、見掛けは悪ガキのように映るがとんでもない。見上げた人物だ。完成された大人の真の人間の姿だった。

天賦の天才的才能の持ち主であるのみならず、不断から並々ならぬ努力を積み重ねた素晴らしき実践者の一人であったのだという。
ムーンウオークに代表される個性的足捌き体捌きは紛れもなく武道の要素がふんだんに散りばめられていまいか。
まさにナンバ歩きであり、能舞台の仕草であり、四陣を踏む運歩そのものであり、鋭くしかも華麗なる足蹴りに至っては古武道そのものである。
西洋のトップダンサーが瞬時にして空手道名誉五段の称号を世界空手道連盟士道館道場より授与された事も十分に肯けるのである。
更に特筆されることとして、此の人は敢えて自分の体勢を絶体絶命の窮地に落とし入れ、絶望のどん底から脱却を試み起死回生をはかる妙味を吾らに堪能させてくれたのです。
つまり、一西洋人が東洋人の神髄とも言える東洋人の蘊奥を掠め取って居はしまいかということです。

嘗て山田次郎吉先生は、竹刀振りの熟練工がささら踊りをおどるような華法彩形な剣術を戒められた。
今こそ現代の剣道人はマイケル・ジャクソンに肖り東洋人の神髄や蘊奥、いや日本人の神髄や蘊奥を極めるよう努力惜しまず精進しなくてはならないのではなかろうか。

いいものはいい。いいものは徹底的にいい。いいものは人に感動を与える。いいものの内面にはいいこころが宿る。