うらなりの記《46》

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兼六公園の旧津田玄蕃邸
 
前田家の五代藩主に綱紀がいる。
この綱紀の家老職に津田玄蕃がいた。
私の母としは津田家から忠勝の下へ嫁いでいる。
母としの妹筋の光枝おばさんから津田家の御先祖は玄蕃さんなのだとよく聞かされた。
些か馬鹿げている。
何の根拠もない話であった。わたしは眉唾物だと頭から疑ったが、真偽の程を質す術はなかった。
高橋家のルーツが一段落したところで、津田家のルーツに取り掛かることにした。  
  
その四  母とし(1)
 
 母としは明治四十一年三月十一日に父津田全二と母重の長女として 金沢市 森町 三番丁に生まれた。
現在の扇町辺りらしい。
 
津田家の人たち=その1
 
 母方の津田家は藩制期には前田家の家老格津田玄蕃の遠縁末裔に当たるのだという。
 今は亡き叔母、故村本光枝はまことしやかに語った。
しかし叔母とて、伝え聞いた限りのことであって根拠が伴う確証を得たものではつたはずだ。
恐らく憶測の域を出ないことであったのだろう。
 でも、何といっても気掛かりだ。
この当たりを詮索することの是非について随分苦慮を重ねたが差し出がましくも、この際敢えて決断した。
 当然のことながら、津田家の御当主津田美樹氏の了解を得た上でのことだ。