独り言

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「いじめ苦は間違い」北国新聞の社会面の見出しに目が行った。
自宅で首を吊ってしまった中学生の父親が手記を公けにしたのだという。
通常見慣れた現象は、親ならば直ちに逆上し声高に外部への責任追及になる。
いつも学校の指導体制が問題になる。
処が、この父親はいじめではないのだという。我が子はいじめに負けるような弱い子でではないのだという。
我が子がいじめに負けたと世間から勘違いされて、迷惑しているのだともいう。
我が息子は、そのような弱虫ではないという強がりの弁のようにも伺われる。
これは、ある種の自己欺瞞のようにも見えるのだが・・・
 
でも、父親はさらに続けて息子は懸命に勉強をしたけれど成績に結びつかず衝動的に死を選んでしまったのだと分析する。
重なり合う劣等感に耐えきれずに次第に自分を追い込んでいったのだと親なるが故に親の観点で愛息を冷静に観察もした。
そして、息子がこれから光り出すはずなのにいなくなり寂しく悲しいと・・・
此処でこの父親は、決して光り輝くとまでは言い表さなかった心情を思うと私も胸が裂ける。
私情を極力抑え、極めて冷静にわが子の自殺死を客観視した此の父親はなんと素晴らしき見上げた人物なのだろうか。
日本古来の武士のように『五常の徳』を弁え、その気風を脈々と湛える立派な日本人だ。
このお父さんは、中学校の指導体勢や対応にも問題はなかったとまで言い切った。
けれども、この手記の奥底には、何故わが日本国の教育は、得てして頭の良し悪し成績の良し悪しで以って人間そのものの良し悪しにまで類推してしまうようなことへの是非を厳しく問うているようにも思えて仕方がなかった。
恐らく、この父さんも同じ気持ちじゃなかろうかと推測した。