独り言

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 法定の形、一本目八相発破と三本目右轉左轉の一連の動きの中に『諸腕』がある。
打太刀は、両足を八文字に踏み締め体を落とす。
 木剣の刃を左に両手たなごころを上に両肘は体側に添えて脇を絞める。目線は仕太刀へ注ぐ。
 仕太刀は、目線を打太刀から外すことなく、おもむろに吸気と共に正上段に振りかぶり、思い切りよく打太刀木剣を打ち砕く。
 この瞬間、左足 (ひかがみ)はやや伸び右足は鋭く大きく蹴り上げる。しばし、一本立ちの体勢となる。
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 三本目右轉左轉にては、この一本立ちの姿勢に続いて、直ちに振り上げた右足を左足爪先前にて交叉させ、左膝がしらを右膕に接触させながら、剣先をば打太刀右目に付けて左霞の体勢にもってゆく。
 この体勢も少なからず不安定さは否めないが、間を置くことなく、右足を軸足に木剣を大きく右轉させながら左足ふみ踏込み真向に斬り下ろす。
 空かさず、更に右足踏み出し留めの正面打ちを繰り出す。・・・
 この一連の流れの中に秘められた不可解な謎めいた剣の理合いが一瞬の内に瓦解する出来事がありました。
 
 先日のNHKのBS放送で熱中人長谷川智先生が物の見事に実証してくださった。
 先生は一本歯の高下駄で出羽三山を走破された。
 その不安定さの克服は、全身の脱力であり、全身の関節を弛めリラックスさせることにあるという。
 ふらふらするが体の自由がきく。力まずに無駄な力を抜けば何故かしら別の力が湧き出てくるのだという。
 恐らく、全身の脱力ながら臍下丹田にだけは充実した力が宿るはずだと思う。
 先生は現代の天狗さんであり山伏であり、修験道を地で行かれる大変稀有な御方に違いない。
 従って先生の論理は、古武道にも十分に当て嵌まリ得るのだけど、先生は若かりし学生時代には将来を嘱望されるくらいの剣道の達人、剣道の猛者でいられたことからすれば、ひょっとして先生の方から古武術の妙術を先取り為されているのかもしれない。
 とても興味津々なる番組であった。
 
 直心影流、法定の形は気力と胆力で打つのであって、その剣理は何処までも深淵であることを今更のように再認識した。