老いぼれへぼ教師の回想記《45》

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今日も綴ります。
七十余年の足跡は打ち寄せる波に打ち消され瞬時にして跡形もない。
わたしは愚かにも我が消えゆく姿をデジカメに撮りブログ化しハードデスクに取り込む。
あくせくとむなしく誰からも一顧だにされない負の知的財産をば営々と積み上げるのみである。
それでもいいじゃないか、二十一世紀型高橋家の由緒書として末孫代々に伝承されればそれでいいじゃないか。
 
その四 鳴中や 通り過ぎたり 駆け足で(6)
 
剣道との出会い(下)
 
 O君は長幼の序をわきまえていた。技量の劣る私を上座に薦め誠意を以ってお互いに掛かりあった。
 面金越しに伺う相手の眼を見れば相手の心の内が見える。
O君の真剣な形相から正真正銘の誠意を読み取った。俊敏な動きと的確な打突、相手の実をはずし虚を見て間髪を入れずに打ち切るタイミング、気で打ち体で打ち腰で打つ冴えた技師である。
世辞を並べたのではない。惚れ惚れする美しい剣道だ。惜しむらくは打突後の余勢で脱兎のように突進する脚力がいま一つ物足りない。
彼は致命的な足の負傷を見事に克服しているのだ。素晴らしい小手と凄い面を一瞬早く先に貰った。
でも、私は最高に気持ちの好い汗をかいた。
 あの当時コンモンと冷笑され酷評された私がどうにかこのレベルまで精進したのだという自負の心をO君に誇示したかったし、また彼の方も阿吽の呼吸で応じてくれて私の意中をきれいに汲み取ってくれた。
『先生やりますね。お歳はおいくつですか。』この言葉が無上の喜びを感じた。簡単に言えそうでいえない言葉だと思う。
O君は他人の心の痛みを理解できる出来た人物だ。素晴らしい良き先生になられたものだ。
多分、苦労に耐え抜いた人物なのだろうと思った。彼も 北村 先生仕込みの立派な活人剣の遣い手なのだ。
もう二度と彼との剣を交える機会は訪れることもなかろうかと思うと実に寂しい。
O君よ、謝謝。