老いぼれへぼ教師の回想記《35》

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当時仲間同士が長沖堤防と云ってはからかったり、お前さんは入漁料は免除だとか云って談笑し合ったものだ。
激務の後の憩いと癒しの場を此処突堤は提供してくれたのでした。もちろん、英気を養う格好の場でもあった。
 
 
その三  海原で 試練乗り越え 金石中
 
釣り行脚(下)
 
 金石港の燈台守というより金石堤防の管理人と言った方が適切なる長沖吉郎先生は私にとり二人目の師匠である。投げ釣りの名人であり、知る人ぞ知る存在であった。
 白キス,かれい、アジ子、カマスなどをあたかも裏庭の防波堤へサンダル履きで出向き、いとも手軽に糸をたれ獲物を自由自在に仕留めていられた。
 仰々しい出で立ちで大上段に振りかぶった大仕掛けな釣りではなく、生活に溶け込んだ、日常の生活の一部分と化した極く自然体の気軽な釣りを教えてもらったような気がする。
 勤務を終え身支度することもなく、堤に乗り海のオゾンを含んだ潮風に身をさらすだけでいい、その上大海原のはるか彼方に望む丸い巨大な地球を知っただけで心癒される。ましてや黄金色に輝く落日の妙を捉えたりすればこの上なき境地に落ち入ることができる。
 ひとたび岸壁を怒涛が洗おうとも、風向きさえ捉えれば長沖名人は渾身の力をこめて投げ込む。強烈な引き込みで竿先が撓る。リールが重い。糸を送り込んで再度巻き込むが激しく抵抗する。
数分間の格闘の末座布団のようなヌマカレイが揚がる。なんと短冊ではないか。私は一度カレイに混じって尺物の黒鯛を仕留めてしまった。そのときも羨望の的であったことを思い出す。
処がこのヌルヌルした代物だけは煮ても焼いても駄目だった。干物にしたがやはりいただけなかった。私にはあの青臭い体臭がどうしても合わなかった。ああそうだった、昆布締めにしたことを思い出した。