老いのひとこと

何故か知らないが無性に映画「窓際のトットちゃん」が見たくなる「タイタニック」以来27年振りになろう.無量寺にある「シネマワールド金沢」を目指した、金石地内ならお手の物と高を括ったがやはり例によって例の如く迷路に紛れ込み飛んでもない金石港の埠頭にお出まし為さいました。 

ところが絶好の冬日和の好天日、視界良好で此の上ない好条件が揃う。

車を停めて埠頭に立つ、50年前の嘗ての面影は何処にない、こびり付いた魚臭から解放された整美ゆき届く岸壁に目を見張る。

大型客船が幾つも停泊する、対岸の大浜の石油基地が手に届きそうだテトラポット配列はむかしの儘ではないか。

 

此の場所に立ってサビキ針を沈めれば巡廻するマイワシの群れが飛び掛かる入れ食いだ、瞬く間にクーラーを満たしたといいたいが入れるまでもない、此れは戴けない喰えたものではなかった。

何故ならば此の魚群は大型船舶の排泄物に群がるドンコ鰯に他ならない。

釣果で鬱憤を晴らすだけの代物だったことを今思い出す。イワシの群れに誘き寄せられた余多の釣り人が此の埠頭に群れをなした往時を今思い出した。

 

それでも澱んだ密室の劇場よりも此の海原を目の当たりにし磯の香りと戯れる此の一時の方が遥かに値千金だったではないか。

道に迷い返って得難い獲物を釣り上げたことになる。