うらなりの記《35》

 
                                                盗人萩
 
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この可憐な花に盗人萩とはこれ如何にせん。果実が
こっそりと忍び寄る盗人の足跡に似るのだという。
こっそりと服に付着して
こつそりと仕事をするので盗人そっくりなのだという。
命名者は、やはり牧野富太郎博士であった。
決して、真実を茶化したりごまかすためではない!
自虐的意味合いを含めているのかもしれない。
 
 
その三  父高橋忠勝(14)
 
 終戦の翌々年、私は 金沢市 立新竪町小学校の六年三組に在籍した。佐藤重友先生が受け持ちであった。
 父忠勝は私と同じ学校で教頭職にあった。不憫なる巡り合せであった。
 私は神を冒涜する人間としてもっとも恥ずべき行為を又又しでかしてしまった。空き教室を見計って級友の弁当を手掴みで食らってしまった。
再び、私は盗っ人という人非人に成り下がってしまっていた。
私の盗癖は、深刻さを増し病的にまで深化してしまっていた。