無謀なる暴挙に近い計画であったのかもしれない。
それが敢行に及んだことは、みなが皆『若さ』という特権を保持していた証しとなろう。
しかし、その乗船者名簿の芳名を見るにつけ大半が既にご永眠なされてしまわれたのである。
時の流れは、あっと言う間で早い。
これは往時の懐かしい一齣に違いない。
その三 海原に 試練乗り越え 金石中
釣り行脚(中)
七尾市 の佐々波海岸のハチメ釣りで私の釣り行脚は本格化した。今でも忘れ難い記憶がある。
一月十五日の成人の日に船出した。漁師も危ぶむほどの荒天だった。
メインの大綱に漁船を固定し漁場を確保した。木の葉のように船は冬の季節風に弄ばされた。
洋上を渡る吹雪の烈風は身体を凍らせ、とりわけ手先の自由は奪われた。
重さ二百号の鉛の分銅を水深二百メートルの海底へ落とす。潮流に流され釣り糸は際限なく伸びる。
私は手釣りを試みていた。当たりは指先に伝わった。幸先よく尺物を仕留めた。上物の黒ハチメだ。もっぱら当たりは私にだけに集中した。
周りから当たりのポイントを知らせろと大声が飛ぶ。私は何気なく“うん、そのあたりだ”と返事した。
すると皆から“そのあたり”とはなにごとかと怒声が飛ぶ。
私はその協定違反だと責め立てられた。それ程までに釣果を独り占めしてしまった訳だ。
そのうち甲板にキナクサイ臭いが立ち込め始めたことに気がついたが、どうも皆がクスクスと含み笑いをしている。 やがて、私の背中の付近に異常を感じ振り向けば、なんと雨合羽がくすぶっているではないか。七輪の練炭火で合羽は無残にも焼きただれてしまっていた。
ばんやむなし。私はかちかち山のわる狸になってしまっていた。
乗船者名簿には横江真弓、高田登志夫、石坂元治、金森靖幸、末岡敬正、角淵清らが掲載されていたはずだ。名簿がどうも見当たらない。