老いぼれ教師の回想記《114》

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その六  石垣の 陰に潜みし 将中や
 
習字の授業=その2
  
 今ここに遂にやって来た。板書用の特製大筆で黒板一杯に一文字を大書する。
しっかりと打ち込み筆を止めた後から墨汁に見立てし水滴がひたたれ落ちるのを諸共せずに一気に書き上げる。
形容しがたき醍醐味があるのである。
 筆勢はいかに、字配りはいかにと教室の後方まで身を移して、繁々とおのれの描いた文字を眺め得心の笑みでエッヘンと鼻に手をやると生徒たちはクスクスと笑う。
 自字自賛、手前味噌もいいところである。
そろそろじじいになりかけていたのだろう。
時間の経つのが早かった。
習字の時間はまんざらではなかった。
自分で言うのも可笑しいのだが、ふざけたり騒いだりして授業が成立しないことはなかった。
 私は達筆である訳でもなく能筆家でもない。教える技術も字を書く技能も無いに等しい。
ただ、文字を書くという一点に気を集中させ雑念無き静止した暫しの一時を彼らに体得させることにのみ専念した。