老いぼれへぼ教師の回想記《33》

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薄っぺらな平板的存在であるよりも八方睨みの効く多角的視点で世の動きを捉え得る存在であるべしとの結論に至った。
”夜の校長”を自称する輩たちとネオンの巷をよく放浪もした。
社会勉強、社会見学に精を出した。幅のある人間を目指して貪欲に学んだ。
魚釣りもそのうちの一つに違わない。
もっとも眼目とすべき生徒たちに正面から向き合うひた向きな情熱は人一倍持ち合わせていたつもりなのだが。
けだし、その評価たるやいかに・・・
 
その三  海原に  試練乗り越え  金石中 
 
釣り行脚(上)
 
 今は亡き横江真弓先生から幾度となく、むしろ執拗とさえ言ってよいほどに口説かれた。
 私は口説き落とされた。
意味がない暇つぶしには興味も魅力も関心もない。時間が勿体ないと頑固に拒否したけど、彼の白い歯を見せた微笑には負けてしまった。
 穴水湾のアジさばで手ほどきを受けた。秋口のころから始まった。
 土曜の夕刻に出て、能登島の島影をかすかに望むポイントにて集魚灯が煌々と燈る。湾内を回遊する魚群がやがて船の周りに絡まりつくように群がり始める。船頭の合図で一斉に竿が入る。
 潮の流れを配慮し、逸早く舳先か船尾か自分の位置を確かめる。さすが横江名人、瞬くうちに銀鱗が跳ねる。アジがいいぞ。逸物揃いだ。底から一メートルあげろ。
 指示が飛ぶ。獲物を素早く取り込むのも技のうち、クーラーの蓋を激しくたたき震わす。幼児同然に歓声が沸きあがり、夜も深まるのである。潮風が心地よく肌を洗う。
 そんなときに限ってヘマを演ずる者がいる。お祭りの張本人はどうも私ではないか。はた迷惑も甚だしい、船頭さんが横に付き絡んだ糸を解きほぐすのに躍起だ。仕掛けごと犠牲にされたこともよくあった。
 お祭りの原因はもう一つ、水深の浅いポイントで鯖に先食いされてしまうことだ。鯖は精力的に縦横に走り回る。誰彼となく招かざる客の到来にうな垂れてしまった。
 すでに夜半時に近い。潮時だ。何よりも大きなクーラーは満杯だ。家路を急ぎ、午前様の一時頃に帰宅し、獲物の処理を終え、嫌われたはずのサバを上手に捌くと何とまぐろのトロ以上の逸品と化し脂が載りこの上なく美味だ。   
 一杯に花を添える。船上で釣ったサバの頭部を逆折りにして血液を流しておくのが秘訣だと横江師匠からの伝授だった。  
 師匠よりサバの糠漬けを考案したことで賞賛されたことを懐かしく思い出す。
 愛すべき横江師匠はすでにこの世にはいない。