老いぼれへぼ剣士の夕雲考《30》

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この写真は鈴木大拙師と何の関わりもない。これは大乗寺の冬景色である。
 
 
いよいよ鈴木大拙と針谷夕雲の相抜けの技との接点を明らかしなくてはならない。
もとより、取るに足らないど素人が意味不明な寝言のような妄言を吐いていると笑われることを覚悟の上だ。
もちろん、冒涜行為だと叱られることも覚悟の上だ。
とうぜん、無視されても構わない。
 
 
鈴木大拙は夕雲をどのように観察し評価したか(10)
 
 
 
高邁なる鈴木大拙の世界へ踏み入る、その糸口すら見い出し得ない稚拙なる小心者の小者分際が、抜けぬけと神仏をも穢す愚挙を仕出かしてしまった。
実に浅はかなる仮説を世に問うてしまったことか、大方より疎んぜられ蔑まれてもまったく仕方がない。
鈴木大拙は自分の書の中で「貧の極意」とか「貧の平和」について述べられている。
この辺りに、夕雲の「相抜け」の極意に繋がる目に見えぬ一本の糸が隠されてはいないものかと勘繰ってみた。