うらなりの記《30》

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 この画像のように低空を飛ぶB29を鮮明に捉えたわけではない。
 遠い昔の頃に、池田町にあった家の前で現認したB29ははるか上空に浮かぶ鳶のような物体に映っていた。
 七聯隊辺りからの高射砲が幾発か発射され音もなく白煙だけを棚引かせていた光景を今以って記憶に留める。
 
 21世紀に至って、今再び疎開という奇異なる言葉が飛び交う時代なろうとは、やはり遣り切れない。
 
その三   父高橋忠勝(9)…疎開(中)
 
二俣へ入る通常の俵町経由のルートには急峻な登りが避けられず、敢えて極端な迂回路であったが北端の森本町を右折し古屋谷町まで入り、そこを再度右折して漸くにして着いた次第だ。
すっかり夜の帳が下りていた。その間、十数時間に及ぶ強行軍であった。
米軍の銃弾に脅える事態には至らなかったとはいえ、生き延びるには逃避行しかなかった。
誰も擁護はしてくれない。当時ですら自己責任下にあった。
当夜は大瀬家より銀舎利の歓待を受けた。ところが私には、皮肉にもこの舎利の味が夜な夜な邪悪なる思惑を膨らませていった。