老いぼれへぼ剣士の夕雲考《32》

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本多の森に昨日、鈴木大拙館がオープンした。
鈴木大拙師の心と思想を学びにぜひとも伺いたい。
大拙先生は、ものごとの大小、強弱、勝敗、善悪などの
対立する概念を超えた世界に私たちが生きることこそが
願いであられたのだといわれる。
是非そこを知りたい。学びたい。教えていただきたい。
 
ただ、今此処には「貧の極意」を語られたことを書いた。
富の極意はない。あるはずもない。
むしろ、唾棄し吐き捨て疎んじられたのだ・・・
 
鈴木大拙は夕雲をどのように観察し評価したか(12)
 
片や一方の、貧しい人は”物“を持ち合わせてはいない。
また、“物”を見る目は必要とはしない。
但し、貧しい人には“人”を見る目があり、“人の心”を読み取る目もしっかり持っているのだという。
言い換えれば、“人の心”を読み取る目は貧しい人でなければ持ち合わすことができない。
それも、ただ貧しいだけではなく「貧の極意」にまで到達しなくてはならないのだという。
「貧の極意」を心得れば、“人の心”の中を心眼でもつて見通すことができるのだし、“個の意義を看取し”、“人の意義をも看取する”ことができようと説明している。