老いぼれへぼ教師の回想記《32》

イメージ 1
                      古き良き時代
 
 
失われた20年といわれる低成長期に入って久しい。
このような浮かれた話は禁句でありご法度に違いない。
不謹慎極まりないと言われてもしようがない。
 
古き良き時代は確かにあった。神武・岩戸・いざなぎの時代を
謳歌した世代も、最早人生の晩期を迎えてしまった。
 
その三 海原で 試練乗り越え 金石中
 
宿直室(下)
 
 相当に痛かった。大きなダメージだった。何よりも家計に響いた。
 妻子ある身の私には冗談抜きに深刻だった。上田のバケさんが給料日には私の横に立った。
 まさしくハイエナに映った。ハイエナそのものだった。
 明日の教育へ繋がるはずもなく、意気消沈した。何度こそ足を洗おうと決意したことか、悪夢の八ヵ年が続いたのである。
 とは言うものの八か年も性懲りもなく永続したのも、時折甘い目に出会える時もあったのかもしれない。
 はっきりいえることは公金に手を汚したり、サラ金に手を染めたりすることはなかった。
 何らかの方法で見事にやりくりしたのだろう。今思い出そうとしても出てこない。
ただ一つ滑稽なことを忘れないのだ。当時私が負け銭を商品券で支払ったと後々までの語り草になったことだ。口惜しい限りだが仕様のないことだった。
 此処に掲げたお歴々の中にはすでに故人となられしお方もいられるが、その大方は 金沢市 の教育界を背負い管理職のトップに踊りでられ、そこで遺憾なく優勝劣敗の鉄則に則り教育方針を貫いたがために校内暴力や教育の荒廃の助長に関与したではなかろうかと勘繰りたくなる一面もあるのである。
 彼らは安全パイを見抜くそつのない立ち振る舞いを会得したのだろう。
 誰からもさほどのお咎めもなく、古きよき時代であった。 もっとも、野球の石坂さんやソフトボールの横江さんらのような真実一路、部活動に邁進された姿には敬服するのである。