うらなりの記《36》

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この画像はまさに捕獲されんとするアホウドリである。
歩くのが鈍間でドン臭いので別名バカドリとも云うらしい。
最盛期の500万羽が1000羽に激減したという。
羽毛に供せられた。云うならば、立派な取り柄があった。
 
処が此の私には、なんの取り柄もなかった。
この愚か者のドアホウめが!愚鈍なるバカ者めが!
 
このようなことを開陳したとて、何の足しになるというのだ。
誰が利するのか。
数多くの者たちが、ただ傷つくばかりではないのか。
 
 
その三  父高橋忠勝(15)
 
六年三組の皆さんへ=同窓会に際しての懺悔録 (上)
 
六〇年間の歳月の経過があったが、あの頃の心傷(きず)が癒されない。今でもズキッンとうずく。明らかに心的外傷(トラウマ)となっている。
 懐古と悔悟のためいき、日夜おのれ自身への憎悪と罪悪感にさいなまれる。悪夢から、そろそろ解放されたい。
いや、おのれ自身の手で開放に向けての手立てを講じねばならない。後幾ばくかの余生を全うする為にも、どうしてもやらなくてはならない。
 
 九月一日が待ちどおしい。でも恥ずかしき一日になろう。何にも益して長く苦しき一日と相成ろう。
 あの時の行為は忘れない。今でも鮮明に憶えている。誰もいない教室、机の中をあさり喰らった。空腹感は更につのり、罪意識だけが残り、膨れ上がり身体の中に残留した。
 被爆経験は無いが、あたかも放射性物質のように体内に鬱積残留した。