怨念を晴らすという俗っぽい作意からではないと云う。
事の真相をつまびらかにし事の真実を白日の下に晒し天の裁きを仰ぎたい一念からの公開だったという。
夫の非業の死を甘受せざるを得なかった赤木夫人は相澤さんのご協力を得て今まさに森友問題に火を付けられた。
しかし、又しても靄もやと燻ぶらせて終わるのか、それとも天の裁きが降りるのか皆やきもき手をこまねるばかりだ。
そんな時ネット上に一筋の光明が差した。
東大の伊東乾先生が目が覚めるような明快なる論文を我らに提供された。
其のタイトルは
『罪を仕立て自殺に追い込んだ財務省、特捜』JBPress2020、3、23号より
読み進むほどに涙腺が緩んで止めどもなく頬を濡らす。
赤木氏は心を病み自責の念に駆られ衝動的におのれの命を絶ったのはないと断言された。
故人は極めて冷静にしかも客観的におのれの死へと続く行程を克明に綴ったのだと此の先生は指摘される。
加えて彼の死はおのれが公文書改竄と云う不名誉な汚名を着せられた事を潔しとはせず昔の武士のように腹を掻っ捌いて責任を取ったのだと論評される。
此の世に投じた赤木手記の波紋が大きく怒涛の勢いで財務省本庁・大阪地検特捜部と本丸たる官邸を呑み込んでほしいところだ。
ところが現実は厳しい、所詮再調査なんて絵に描いた餅になりかねない。
何故ならば行政の一翼を担う検察官ならば官邸の意に反する捜査をするはずがなかろう。
何んと虚しいことか、無力感と虚脱感だけが空中を漂う。
コロナに追い捲られテレビや新聞の動きもきわめて鈍い。
さてさて、われは何を為すべきなのだろうか。