老いのひとこと

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無断掲載


作家小林多喜二の母、小林セキを描いた映画を見ていろいろ学んだ。


多喜二忌、二月二十日は今年で85周忌でそんなに遠いむかしではない。


わたしが生まれる2年前に過ぎない。


多喜二は1933年29歳の若さで獄死した。


1873年生まれの母リキは愛息の亡骸を揺さぶり起こし「それ、あんちゃんもう一度立て!立って見せろ!」と健気にも叫んだと云う。


何も知らないわたしに取って不可解なのはマルクス主義に徹した多喜二には仏教もキリスト教もなかったはずにも拘らず多喜二は不穏な時代を見通したかのように生前に自分の墓を建てていたと云うのです。


小樽の共同墓地に仏式戒名を刻んだ多喜二の墓が在るのだと云うから不思議だ。


母リキは足繁く墓参に足を運んだと思うが映画では触れることはなかった。


それも其の筈、リキには変わり果た息子の死体を見ればもはや神の仏もあろうはずがない。


神仏に見捨てられたと思ったであろう。


秋田県釈迦内村生まれのリキではあるが愛息を見捨てた釈迦にも見切りをつけたことだろう。


又これも映画では扱われなかったが母リキが遺した自作の詩が


あるのだという。


母リキは戦前戦中戦後を通し辛酸をなめ尽くし1961年の昭和36年に88年の生涯を終えた。


その遺品の中から一遍の詩が出て来たと云う。


たどたどしい文字ながらも其処には多喜二の死を悼む切なる想いが滲み出るが同時に此の詩はリキが既に帰依していたクリスチャンとしての想いが秘められているのだと云う話を聞いた。


リキは既存の仏教を捨ててイエス・キリストに救いを求めたのです。


知りませんでした勉強になりました。


 


 


此のリキの胎内で文才の遺伝子が間違いなく多喜二へ託されたことになる。


 


館内の暗闇に乗して涙をふんだんに流す。


暗闇に紛れて曇った眼鏡をそっと手でぬぐう。


明るくなった館内をそれとなく見渡せば年配が多いおのれと同程度の人もいるが若者がいない青年がいない。


土曜日ゆえに少ないのかも知れない。


観てほしい観るべき人たちがいない、怒ってほしい怒るべき若者が少ない。


いや待てよ、既に共謀罪が知らぬ間に浸透し若者たちが若者らしい覇気をすでに隠蔽し始めているのだろうか。


まさかと思うが、外は夏の光線がぎらぎら照り付け熱気でむんむんむせ返る。