老いのひとこと

イメージ 1




兼ねてよりそう思ったことだが日本人でありながら日本語が読めない悲哀は嫌と云うほど味わされてきた。


昔の人は何と筆の立つことか達筆の文字は皆目読めない。


此の歳になって今更と思う反面此の時にこそ発意しなければ何時できようぞとおのれの尻を叩く。


県立図書館の「初めての古文書入門」講座に応募していた。


もちろん応募しただけでは意味をなさない。


ここぞ、信念の固さが問われるのみなのです。


難敵くずし字と変体かなを前に自ずと身震いがするのです。


上手いことに講師の先生の声量は申し分ないし口調もしっかりしていて大いに助かった。


先ずは古文書とは何ぞや、「ブンショ」と「モンジョ」の違いの講義を聞くうちにやはりどうしても財務省理財局の決裁文書のことが目の前にちらついたが講師の先生は公務員の政治的中立性を楯に決して口外されることはなかった。


感心するやらびっくり驚くやら複雑な想いに駆られた次第なのです。


「ブンショ」から「モンジョ」へ時間の経過とともに移行する。


果たして改竄文書は数世紀先の遠き遠き時代には古文書に成り得るや否や。


そんなバカげたことを先生に質問するおバカさんがやっぱりいたかとみなから笑われそうなので止めにしました。