老いのひとこと

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今更恥ずかしい。


お百姓さんをダサイ鈍臭い存在として捉えていたなんて飛んでもない。


確かにドン百姓とか水呑百姓には負のイメージがありどちらかと云えば蔑称に近い言葉遣いだったかも知れません。


 


 


やっさんの代役としてちょくちょく野良に出て腰を擦りながらの草むしりに汗する老体が此処に居る。


百姓まがいの真似事をし百姓は豪い豪いと弱音を吐きながら老骨に鞭打つ。


でも、そういう大変な重労働を身を以って体得したお蔭でわたしは本来の百姓に近付き本当の百姓に肖らねばならぬと思うようになった。


もともとお百姓さんは農民だけではなく様々な百通りもの仕事をこなす庶民たちのことを指したらしい。


つまりはオールマイテイの有能な何でも屋さんであったと云う。


何事にも対応し何でも熟せるお百姓さんは素晴らしいと思った。


炎天下で草をむしりながら百姓も悪くはないと本当のお百姓さんに憧れもしたが所詮それは無理だと分かってきた。


そもそも百姓になるには自分の田畑を所有し前田の殿様に年貢を払う自作農でなくてはならなかった。


だからわたしは百姓にはなれない。


水呑百姓にも成れませんし小作人の資格もない。


せいぜいが本百姓たる地主さんのお手伝いさんとして勤労奉仕致せばそれで十分と云うことになる。


 
江戸時代には百姓の文字を

百性と書いたらしい。