老いのひとこと

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玄関先に置き物がある。


中を見ればキューリに枝豆、そして小粒のミニトマトが袋一杯ある。


毎度のことである、弟が気を利かせて呉れて有り難うと早速電話を入れれば本人が出て「お役に立てれば有り難い」と言葉を返す。


孫たちと同居する弟には「ミニトマトはどうしたのか必要ないのか」と問い質すが沢山あるのでそれで良いのだと云う。


処が10分も経たぬ内に弟から電話が入り「今ほどの返答の内容は間違いだった」と云う。


弟も齢には違いないがボケるには早すぎる、わたしより若い筈だ。何分こうも暑くては誰しも可笑しくなるのだろう。


 


ならばご近所の「まっつあん」だろう。


先日もネギ苗を下さったので違いないと家内は電話を致せば人違いだと云う。


又再び何かを催促したかとも誤解されかねない下手な電話をしたものだと後悔す。


 


なら一体どなただろうかと暫し考えあぐんだ末、家内はカラオケ仲間のサイトウさんかも知れないと恐るおそる電話すれば三度目の正直でご正解でした。


ちょうど畑のキューリが途絶えたばかりなので大いに助かった。


枝豆は冷凍保存、ミニトマトは酸っぱいが美味いではないか。


 


持ちつ持たれつ支え合い助け合う好いじゃありませんか。


微笑ましいじゃありませんか。