老いのひとこと

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         無断掲載

はじめての古文書入門講座も回を重ねて10回目で終了した。

立派な修了証書をいただいた。

唯一の自慢は只の一度も休まず快出席を記録した事だけで古文書解読には全く至らず話にもならない。

修了試験にでも出くわせば完全にアウトでしょう。

聞こえない耳の穴をほじって其の時代背景を少しばかり生かじりしたに過ぎなかろう。

ただ最後の講義で得たことが二つあった。

藩政時代には時国家の棟梁の下に主家、譜代からなる一族郎党が相集い、其の下には数多くの下人たちが奉公し能登の鳳至の地に大きな時国村が形成されていたのだという。

今日の教材は此の村の下人の女房と其の倅が連名で時国家の旦那様に礼状をしたためたお手紙文になる。

若し代書屋の手に掛からず本人の自筆だとすれば此れぞ快挙、あっ晴れお見事というしかない。

もう一つは本日の先生は口癖のように幾度となく繰り返されたフレーズがとても印象的でした。

古文書にはお決まりの常套句がある。

その崩し字筆体を兎に角無条件に憶え込むことが先決だという。

古文書学習の要領のいい最短コースはこれしかないと十回以上にわたり語調を強めて我らを説諭なされたのです。

成る程そうかとポカンと口を開けたままそのお言葉を耳にしていた次第なのです。