老いのひとこと

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「日鑑誌」に学ぶー1


 


はじめての古文書入門講座にしたら随分とレベルが高い。


毎度のことながら大きな悲哀感を味わされて来た。


おまけに大事な補聴器を忘れるへまを仕出かしもどかしい90分間だった。


本日の史料は「日鑑誌」でした。


三浦喜三郎が著わした慶応3年1867年から翌明治元年1868年までの日記であるという。


此の三浦氏は当時鳳至郡の穴水の廻船問屋で働く船乗りで優れた逸材として頭角を現し蝦夷ガ島の箱舘での北前船海運業の全てを取り仕切った方だと云う。


箱舘支店長として営業日誌を綴り穴水の主人の元へ報告いたしたのでありましょう。


全紙を二つ折りにした半紙台に克明に細字が綴られる。


一行に四十数文字が凡そ十数行ぎっしり文字が並ぶ。


下書きなしに訂正箇所もなく一気に書き上げる其の能筆振りは驚くばかり。


墨の濃淡が在りかすれた文字がよく目立つ。


六十丁の冊子が三冊あったと云う。


時あたかも函館戦争勃発の機運高まるさ中三浦氏は政治の動向にも鋭敏な慧眼を遺憾なく発揮され戦局を把握されその都度報告なされている様子がよく分かる。


榎本武揚率いる旧幕府軍が鷲の木に上陸を果たす公式記録が明治元年10月20日らしいが三浦喜三郎氏はその翌拾月二十一日の日記に逸早く其の事に触れている。


通信手段無き往時に於いて氏の慧眼ぶりがよく知れる思いがする。