老いのひとこと

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千葉在住の剣道に造詣深いとある先生の記述の中から光を放つ一つのフレーズを頂戴してしまった。


此の教士七段の先生はスポーツ剣道と武道としての剣道の違いを峻別なされた。


たったそれだけの事ではあるが此の先生はスポーツ剣道の背後に隠れるもう一つの武道としての剣道の存在を明らかに認められたのです。


世に云う剣道の概念は試合に出て勝つ剣道、負けては話にならない兎に角勝つことを至上命題とした競技剣道であり試合剣道、つまりスポーツ剣道が今大手を振るうのです。


相手より先にお面にゆきお小手をとる。


まさに先んずれば人を制す。


遠い間合いから攻め入り自分の打ち間から逸早く技を繰り出す、勝つための常道は此れしかないとお稽古に励む。


勝ちを制したものこそ人間形成を成就した証となり段位を積み上げ高段者となる。


勝ちを制することが敵わなければ当然ながら人間形成が適う筈がなく既に格調高い人間となられた高段者を崇め敬い、そしてひれ伏す両手に自ずと頭を下げる。


これが当たり前のような剣道界の常識が昔から形成され通用する。


剣の理法を修練した剣技の度合いと人間形成の進化の度合いが正比例すると云う常識でもある。


 


こう云った風潮の中にあって武道としての剣道に存在意義を見い出す心ある剣士が居られるのです。


身を捨て命をも顧みず真っ向振り被り相手を打つ、いや打つだけではなく相手の脳天を斬り裂く。


相討ちとなり共斃れも辞さぬ凄まじい気勢を示す。


美しい残心、お互いの勇気を称え合う心のこもった挨拶で禮を尽くす。


勝ち負けを度外視した、勝ち負けを超越した美しい剣道をしてみたいものだ。


そんな稽古をやってみたいものだ。