老いのひとこと

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ちょっとした春の異変でありましょう。


高橋家の当家を継いだわたしの弟が先日やって来て父忠勝から言付かった品々だが此の際兄貴にお任せしたいと云って置いて行った。


大昔に、子供のころに見掛けた絵画もあったがその多くは初めて目にする珍品ばかりで恐らく父の秘蔵の品だったのだろう。


とは言え其の多くは左程の価値もないガラクタ同然であったのだが中に一点捨て難き貴重なる品を一つ見付け大いに驚いた。


祖父勝太郎の表装仕立ての肖像画ではないか。


此れには些か驚いた。


文久2年1862年に池田町立丁に生まれ昭和3年1928年に同じく池田町一番丁にて六十六歳で没した外でもない我が祖父に間違いない。


恐らくは還暦祝いの勇姿に相違なかろう。


俸禄米二十五俵のたかが足軽分際に過ぎぬが威厳ある我が祖父の晴れやかなる雄姿ではないか。


父から聞いた話だが祖父は士族の商法宜しくご多聞に漏れず駄菓子屋業に失敗し巡査の道を歩んだのだと云う。


にも拘らず何と紋付袴の正装で未だ見ぬ初孫に夢を託してカメラの前に立ったのであるまいか。


初孫はわたくしに外ならずわたくしを抱くことなくこの世を去ったのです。


没後八十九年を経て貴方の初孫たるわたくしが今貴方のお姿を拝顔いたす栄誉にあずかりました。


じいさん、此のわたしが祖父さんの孫ですと恭しくご挨拶申しました。


どうか、じい様一族皆の衆の安穏を御見守り下さいます様呉れぐれもお願い申します。