昭和34年ころの野町広小路
有為転変の劇的変遷に翻弄されたのは、わたし一人ではなかった事は確かなのだが、“うらなり“なるが故に環境順応力が一番問われたのは此のわたしではなかっただろうか。
それは紛れもない事実であった。
その六 高橋家の相続(3)
その最たることが、昭和三十年十一月十四日に四十七歳にて夭逝してしまった実母としとの永遠の別れに遭遇することだ。
そして、四年後の昭和三十四年には父忠勝が河原ミサオと再婚、入籍へと続くのである。
間もなくして住まいを若草町の新居に迎えた。
父忠勝にとっては齢六十歳にして、ようやく念願の自宅と称する持ち家の主と相成り、同時に新居での再婚生活ということになる。