老いぼれへぼ剣士の夕雲考《23》

年甲斐もなく鈍臭いことに平気で取り組んでいるわい。
人様より嘲笑の的となっているのにお前さんはまだ気付いていないのかい。
なんともめでたい奴だと、また冷笑される。
それでもいいのです。
 
鈴木大拙と山田次郎吉が東京大学を舞台に一時期寝食を共にするがごとき接触点を見付けた時には子供のように小躍りしたのです。  
 
 
 
 
 
鈴木大拙は夕雲をどのように観察し評価したか(3)
 
それから二十年近い年月が流れた一九五九年(昭和三十四年)に更なる集大成である英書「zen and Japanese culture」が米国プリンストン大学より発行された。五百ページに及ぶ大書である。齢八十九歳を数えていた。
しかし、どうしたことか未だに日本語に訳されてはいない。
大拙が二十二歳時に東京大学の哲学科選科に合格し、二十五歳にして中退をしている。
また、三十九歳には東京大学の英語講師として就任し三年後の明治から大正へ時代が動いた一九一二年に辞任している。
大拙より七歳年上に明治の剣聖と称される山田次朗吉がいた。
山田次朗吉は剣の修行の傍ら猛然と勉学に勤しむ姿がそこにあった。言うまでもなく、若き学徒に剣の真髄を伝授された人である。
取り分け、東京商科大学(現一橋大学)には三十八歳時より六十七歳でこの世を去る一九三〇年(昭和五年)まで長きにわたり関わりを持たれた。
そうした中にあって、山田次朗吉は東京大学でも剣道師範として健腕を振るわれている。
その間、一九〇二年(明治三十五年)より一九二五年(昭和元年)までと記録に残る。
然すれば 、鈴木大拙東京大学で英語講師を勤めたのが一九〇九年から一九一二年なら、図らずもこの両者は知己の間柄と相成ろう