老いぼれへぼ剣士の夕雲考《22》

北国文華第49号に鈴木大拙を特集している。憧憬の人物なら即刻飛びつき貪るように読み切っているはずなのに一向にその気配がない。
真実わたしは本物の大拙フアンではないのかも知れない。何を隠そう、読解力乏しきわたしには大拙先生の著作物が余りにも難解で梃子摺ること多くして、善う前へ進まないのです。
即非の論理」の壁の前で立ち往生して泣きっ面の無様さ、恥ずかしい限りなのです。
 
 
 
鈴木大拙は夕雲をどのように観察し評価したか(2)
 
 清田清秀先生の言に従えば、幼少期を含めて大拙が竹刀を手にして剣術を嗜んだ記録はどこにもないと言う。
 それにつけても、諸芸に亘って造詣が深い。剣道は云うに及ばず茶道や俳諧にも卓越した独自の知見の持ち主であられた。
 大拙六十六歳の一九三六年(昭和十一年)に世界宗教信仰大会へ出席のためロンドンに赴いている。
第二回目の渡欧となる。その折、オックスフード、ケンブリッジ両大学を始め欧州各地に於いて三十数回に亘って、仏教紹介のための講演をなされた。
演題は「禅的日本文化」であった。その題材として剣術は言うまでもなく、茶道や俳諧への卓越した識見を縦横無尽に駆使して、余すところなく欧米人に対し禅とは何たるかを詳述された。
この講演内容を一書に纏められた物が「zen Buddhism and its influence on Japanese culture」であり一九三八年(昭和十三年)に刊行されている。
この英書を日本語に邦訳されたのが北川桃雄氏に他ならず、名著「禅と日本文化」として世に出た。
一九四〇年(昭和十五年)に岩波新書版として発行されたのである。大拙七〇歳のことである。