老いぼれへぼ剣士の夕雲考《25》

剣道とか剣術に生きがいを感じ日夜錬磨に明け暮れされる御仁たちが大勢いられる。
互いに切磋琢磨しながら剣技の修得に奮闘される御姿は能く拝見いたすところだが、当然なることとして心の問題としての剣理の追及にも奮励されしものと思う次第なのです。
かつての剣客と言われる時代に、それらの人たちが如何に難解にして高度な先進文物に挑戦したかが能くわかつたのです。
舌を巻く驚きを禁じ得ないのです
 
鈴木大拙は夕雲をどのように観察し評価したか(5)
 
前述の「日本剣道史」からは遍く剣のエキスを吸収したであろうし、夕雲と一雲を通して無住心流剣術を次朗吉なりに解析した部分を局所的に取り入れていることだろう。
また、「続剣道集義」には小出切一雲が師針谷夕雲の無住心剣を夕雲流剣術書(剣法夕雲先生相傳)として編集されたものが全編収録されている。
鈴木大拙は、それを意訳する形でその中枢を大々的に摂取しているのだ。
更には、「剣道叢書」からは“猫の妙術”の部分を学び取っている。
“猫の妙術”を詳述する気はないが、佚斎樗山子 ( いっさいちょざんし )こと本名、丹羽十郎右衛門忠明は万治二年(一六五九年)から寛保元年(一七四一年)まで生きた人で著書「田舎荘子」の中で、この猫の妙術を世に紹介しているのである。
其処には神道道教儒教・仏教を渾然一体と融合させた、老荘思想と禅の教えを掛け合わせるという得体知れぬ茫洋たる人物であったのだ。
つまり、当時の先進文物たる宋学の分野を逸早く輸入していた証人でもあろう。
剣禅一如を希求してやまない武人たちは夫々の禅師に帰依し、互いに修行の道を深めたが、彼らは禅の教えを追及する傍ら、実に高邁なる思想の数々を身を以って学習し如何に体得していた事か、何と言えども驚きを禁じ得ないのである。舌を巻く思いなのだ。