老いぼれへぼ教師の回想記《25》

其の二  紫錦台  気ままに生きて  小手試し
 
一九六三・七号 文集「紫錦」
 
私が文集に投稿した痕跡を上野正明さんが見つけてくれた。
教師は他者を見てうらやむばかりだと自分の流れは止まってしまう。
自分の成長が滞ってしまう。
他者からうらやまれるような存在にまで自分を高めねばならいと氏は教えてくれた。まさに至言である。
氏はまさに努力家であり勉強家であり毒舌家でもあり何よりも確たる信念を持った教育者であった。
 
 以下は私が寄稿した文章である。
 『とにかく、多端紛雑を極める世界情勢・・・・それに真っ向から対処していこうとする勇気と行動力、そういうものを身につけていってください。いわゆる世界的な日本人、金沢人となってほしい。
そのためにはどんなに些細な出来事に対しても、あの童児に見るような好奇のまなこで物事をキャッチし関心を寄せながら感激する態度を終生の伴走者としていかねばならないのである。』
多分、言わんとするのは人真似ではない自分だけの人生観や世界観を持とうということなんだろう。
 中村治朗先生も他界された。隔世の感を新たにする。気ままに生きた紫中の三ヵ年は善きにしろ悪しきにしろ私自身の基を私自身が構築した期間でもあったのです。
 
暫しとどまるりし、この地に立ち己が痕跡を手探りす
   砂を噛む味気なさ、小石にも劣る儚さ身に染む